大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和41年(行ク)1号 決定

申請人 室原知幸 外九六名

被申請人 熊本県収用委員会

訴訟代理人 斉藤健 外一〇名

主文

本件申立を却下する。

理由

申請人らの申立の趣旨および理由は、別紙執行停止決定申請書記載のとおりであり、被申請人の意見は、別紙意見書記載のとおりである。

そこで検討するのに、被申請人が、起業者建設大臣申請の、筑後川総合開発に伴う松原、下筌両ダム工事用仮設備建設事業にかかる土地収用裁決申請事件について、昭和四一年一月二九日収用裁決をなしたことおよびそれに対し、申請人らが収用裁決取消訴訟を提起したことについては、当事者周に争いがない。

(一)  被申請人は、申請人の中森下政明が、本件裁決にかかる土地の地上物件の、所有者又は関係人であることを争つているけれども、一応真正に成立したものと認められる疎甲第一九号証の八によれば、同人が一部立木の所有者であることの疎明がある。従つて同人の申立も直ちに不適法といえない。

(二)  ところで、行政事件訴訟法第二五条第二項によれば、行政処分の執行停止を認めるべき第一の積極的要件は、行政処分の執行により生ずる回復困難な損害を避けるため、緊急の必要がある場合でなければならないとされている。そうして、その法意によると、この場合における回復困難な損害の存否については、その行政処分の執行によつて生ずる個人の権利と侵害と、執行を停止することによる、いわゆる行政停廃等による公益の阻害とを比較衡量のうえ決すべきものと解するのが相当である。そこで考えてみるのに当事者双方提出の各疎明資料を検討すると、なるほど申請人らが本件裁決によつてその所有土地を収用され、その地上に有していた立木工作物および付帯設備を取払われ、右土地の一部はダムの水中に水没することが窺われるので、その限りにおいては、申請人らが財産上の不利益を蒙むることはもとより明らかである。しかしながら前記疎明資料に、本件執行停止命令申請事件の本案訴訟についての証拠保全として、当裁判所のなした検証の結果をも綜合すると、前記裁決の対象とされた熊本県阿蘇郡大字黒渕字天鶴の地上には美林が存するけれども、その立木の大部分は伐採期に在るとみられるし、また、該地上の建物も、一見して粗末な木造亜鉛引鉄板葺の平家建などばかりで、格別継続的な居住の用に供されているものとも見えない。従つてその他電線送水管などの付帯設備を考慮に入れても、これらの物件を収去することによる申請人らの損失が、金銭の補償によつて償ない得ない損害であるとは言い難く、記録を検討しても他にこれを認めるに足る疎明がない。そうして、もともと、かかる補償の問題は、今後とも起業者との間において解決し得べきことであるから、以上の諸点を、本件裁決処分それ自体の効力を停止することにより生ずる公益の阻害と対照すると、本件において申請人らには、前記回復困難な損害の存することも、また損害を避ける懸念の必要があることをも直ちに認め難い。

もつとも申請人らは、本件裁決の目的とする松原、下筌両ダムは、公益の為には有害無益なものであつて、専ら地元住民の犠牲の上に立つて、私企業の利益を追求する不当なものであると主張するのであるが、この点の疎明はなく、かえつて同ダムが公共性を有することについては既に東京地方裁判所の昭和三八年九月一七日付判決(同庁昭和三五年(行)第四一号)によつて判断されているし、右ダム工業が、筑後川総合開発計画の一環として、治水や発電に利用され得るもので、社会経済上の効用の大きいことは窮える。従つて右主張をもつてとうてい前認定を左右できない。

(三)  つぎに申請人らは本件裁決が違法であるとして、その瑕疵について詳述しているけれども、もともと裁決処分が適法であるか違法であるかは、専ら執行停止の消極的要件となるというにすぎない(本案訴訟について理由がないと見えるときは、執行停止が許されない)。

そうだとすれば、既に前記の如く、執行停止につき積極的要件をも直ちに肯諾できない本件においては、右消極的要件の主張事実について、いまここに判断の限りでなく申請人らの申立は、結局理由がなく、本件収用裁決の効力を停止することは相当でない。

よつて本件申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 松本敏男 武波保男 矢野清美)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例